高度成長期を過ごした日本社会

1960~80年代程度までの高度成長下の日本社会において、高収入な働き先を求めて都市への人口集中が始まり核家族化になりました。

その高度成長期の過程で社会が変化し、時代の変化に翻弄されているのが、孤立した個人ではないかと思います。地域とのつながりや家族とのつながりを失うことは、引きこもりや「ゴミ屋敷」という現代の病ともいえる悲惨な現実を生んでしまいました。

高度成長しなくなった日本社会

高度経済成長が終わり助け合いが必要な時代に、地域から切り離された人たちが、社会の片隅で誰とも連携できないで孤立するケースが増えています。

高度成長しなくなった日本社会では、意図して「成長しない」方向を向くべきかもしれません。私は逆説的に次のように考えました。

1人で生きていくために都会に出る。→仲間と生きていくために田舎に帰る。
経済力(お金)があれば豊かになれる。→多様な人と繋がると豊かな心でいられる。

成長しない経済の中でできること

成長しない経済の中でできることは、個人の内面的な成長によって豊かな気持ちを持つ努力をすることのような気がします。

そのようになリ易い環境がこの時代には備わっています。
それはこの時代は「働けるうちは働く」必要があるからです。

60代で引退することができなくなっています。
働かざるを得ないのが現実ですが、肯定的に考えると仕事を通じて人とかかわることこそ生きる意味であり、そのチャンスをつかみやすい環境だということです。

年を取った人でも活用しなければならない社会は、二つ以上の仕事や役割を持つ人が増えていくでしょう。
それは職場や地域で活躍することが推奨される前向きな人がチャンスを得られる社会です。

日本の事例から学ぶ海外

今の時代には通信技術が発達しているので、通勤しなくても仕事ができるようになりました。

日本語の出版物のレイアウト変更や文言の変更作業、日本のアルバイト広告のポップデザインなどの仕事はベトナムで弊社のスタッフが行っています。

何でもちょっとした新しく勉強ができるものがあることは楽しいものです。
通信技術があれば、どんな仕事をどこでやってもよくなっています。高い給料を求めなければ、得意な分野の仕事にすることは可能です。

弊社のスタッフは難しい日本語の勉強ができるこの仕事を気に入っています。
何に幸せを感じるかも変化していいように思います。

これからの生き方で大事なもの

これからの時代は一人だけで生きていこうとしない生き方が大事なのかもしれません。
自分だけで生きていけると考える場合は、傲慢な考え方に陥る場合があります。

反面、人に助けてもらっていると思えば、相手を認めることができるようになります。

過去の成長体験にあこがれるのではなく、人に助けてもらえる、人と関われることが喜びと感じることもまた経済力と同様に重要性を増しているように思います。

記事投稿 西田

アイクラフトJPN・ベトナム株式会社(英語表記:iCRAFT JPN VIETNAM Corp.)
代表取締役 西田俊哉

高い技術力を持ち、安定・成熟した日本と発展途上であっても、若々しくエネルギーに満ち溢れたベトナム、この両国のそれぞれの力をコラボレーションすることが、両国の発展にとって意味のあるものになっていくものを考えております。ベトナムの今を、現地の生の声としてお伝えしていきます。