日頃考えている「仕事の責任」について綴ってみました。

人間生活を営む社会では、規範やルール、そして「秩序」が求められます。
「秩序」を維持するには、社会で暮らし働く一人ひとり一人ひとりの「責任」が
問われるのが当然。

何事も「責任」が伴いますが、特に、組織社会における「責任」
言い換えれば「仕事の責任」とは何を意味し、その価値とはどのように評価されるのでしょうか。

「責任」の意味は、改めて説明の要はないかも知れませんが
下記はweb辞典から引用したものです。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。
「事故の責任をとる」「責任転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が
法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

仕事に関しては1-3全て関係しますが、1,2の責務を負う「責任」について考えてみます。

ヒエラルキー組織社会では、「責任」の大きさと「権限」の大きさは概ね比例関係にあります。

組織で「偉い」人は、「権限」を持つとともに「責任」を負う立場の方とも言えます。
「権限と責任」を持つ価値とは、組織の価値創造に向けた「様々なリスクテイク」に
対する「責任」の対価であり、「報酬」という形で報いられます。
経営陣の「責任」が大きい故に「報酬」も比例するのが一般的です。

事業が上手くゆけば、当然の報いとして「報酬」を受け取ります。
(超高額報酬を得ている方々の議論はありますが….)

上手くいかなかった場合は….!
当然「責任を取る」事になります。

でも時々「責任を果たす」!つまり、今回は上手くいかなかったが
上手く行くまで頑張り通すことが「責任を取る」かの如く抗弁する人も少なくありません。

私は、「責任」とは「取る」ものであり「果たす」ものではないのでは と思っています。

もう少し正しく表現すれば
『責任を「取る」ことで、失敗や損失の責を負い
その責務を「果たす」事!、そして、ミッションへの再挑戦は後任に託し
自らは責務を果たしながら再起に向けて努力すること。』

と、自身のこれまでの人生に重ねながら「責任」を意識して
社会活動に取り組んでゆこう!とあらためて感じている朝です。

記事投稿 岡田

「総務革命エバンジェリスト」
元スクウェアエニックス米国法人社長、本社総務部長2018/1に株式会社HLD Labを立ち上げ
幸福価値創造コンサルタントとして活動中。併せて、一般社団法人日本ライフシフトト協会理事で活動中